地球のこと

革新的リンゴ農家・木村秋則さんの自然栽培と成功までの奇跡

木村秋則
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木村秋則さんは青森県弘前市でリンゴ農家を営んでおり、自然栽培の第一人者として知られています。

彼の長年の研究と努力によって、無農薬・無施肥のリンゴ栽培に成功し、その方法が世界中で注目を集めています。

さとみ
さとみ
本記事では、木村さんの経歴、栽培方法、活動、彼が主催するイベントやプロジェクトについてご紹介します。

木村秋則さんの経歴

出身地と学歴

木村秋則木村秋則さんは1949年、青森県岩木町(現弘前市)の三上家の次男として生まれました。彼は青森県立弘前実業高等学校商業科を卒業し、上京してトキコ(現日立オートモティブシステムズ)に入社しました。

しかし、1971年に帰郷し、りんご栽培を中心とした農業に取り組むことになります。

22歳でリンゴ農家の木村家の養子になり、現在の奥様、美千子さんと結婚しました。そして、美千子さんが農薬を散布するたびに体調を崩されていたことをきっかけに、
木村さんは福岡正信氏の著作『自然農法』を参考にして、無農薬のリンゴ栽培を始めることを決意します。

 

無農薬リンゴ栽培への挑戦

リンゴ木村さんは1978年から本格的にりんご無農薬栽培に挑戦しましたが、もともと日本の温帯湿潤な気候で無農薬で育てることは困難だといわれていました。

また、害虫を手作業で駆除するなど、毎日の手入れも相当な労力でした。

1978年から無農薬栽培に挑戦しましたが、木が衰弱して花は咲かず、葉にびっしりと虫がつき、虫の重さで枝が垂れ下がります。

虫を駆除するため、味噌や焼酎、あらゆる食品を片っ端から散布し、毎日手作業で虫を取りましたが、効果はありませんでした。

10年以上に渡る極貧生活

やがて木は枯れ、収穫量はゼロに。どんなに苦労を重ねても収入がない状態が10年近くにわたって続き、子供の学校の消しゴムすら買えないほどに貧困生活を送ります。

キャバレーの客引きや出稼ぎで生活費を稼いでも、電気代や水道代を払うのがやっと。時には畑の雑草を食べて生活費を切りつめました。

借金は数千万円にもなり、そんな木村さんを見て、周囲の農家は「かまどけし(=破産者、愚か者)」と噂し、周りからも孤立してしまいます。

死を決意し、ロープを持って岩木山へ

森の中精神的にも追い詰められた木村さんは、ついに死を決意し、ロープを持って岩木山へ入ります。そしてなんと、死を決意したギリギリの瞬間に、ヒントを発見をすることになるのです。

それは、山の木には虫も病気も少ないことでした。
根本の土を掘りかえしてみると、崩れるくらいに柔らかい。

この土を再現すれば、リンゴが実るのではないか

木村さんは、そう思いつきました。

土と植物の芽

木村さんはこれまで「自分の力でリンゴを実らす」のだと思っていましたが、実は、

自然の繋がりの中で多くの生き物が助け合った結果、リンゴが実る

という、ずっと目の前にあった〝ワンネス〟の真実を悟ったのでした。

深呼吸
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他の作物での無農薬・無施肥栽培では良好な成果を上げながら、木村さんは少しずつリンゴの栽培方法に改良を重ねていきます。

最終的に彼を助けたのは、大豆の根粒菌の作用で土作りを行ったかつての経験でした。木村さんのりんごの木は年々状態が上向いていきます。

そしてついに、彼は無農薬・無肥料のリンゴ栽培に成功し、「奇跡のリンゴ」と呼ばれるまでになったのです。

 

木村さんの自然栽培方法

木村式自然栽培の特徴

リンゴ木村さんの自然栽培方法は草刈りを制限し、化学的に合成された農薬や肥料を一切使わず、虫の卵を手で取り除き、酢を散布するなどの方法を取っています。

彼のリンゴの収量は日本の平均収量に近い値を維持していることから、その効果が伺えます。

また、彼のリンゴ園では農業機械の使用を最小限に抑え、手押しの草刈り機や農薬散布機の不使用によって土壌の圧密を避けています。

これによって、トビムシやトゲダニなどの土壌生物の個体数が増加し、病虫害の被害を抑制する効果が期待されています。

無農薬リンゴの品質

木村さんが栽培するリンゴは、無施肥・化学合成農薬不使用の栽培方法で育てられており、通常のリンゴ園と比べて土壌の性質や生物の多様性が異なっています。

また、彼のリンゴ園では、施肥に加えて菌根菌を通じて植物にカリウムを供給していることも明らかになりました。

これらの栽培方法によって、木村さんのリンゴ園では優れた品質のリンゴが育ち、舞台や映画などの作品にも取り上げられ、多くの人々に感動を与えています。

 

木村さんの活動

講演活動

木村さんは日々講演活動に全国を飛び回っており、自然栽培の普及活動も行っています。

彼の影響を受けて自然栽培を実践する団体も存在し、彼の指導を受けて自然栽培を研究している人々も多くいます。

彼の講演活動では、最近の自然栽培についての考えや持続可能な地域づくりについて話すことが多く、多くの人々から支持を受けています。

また、木村さんは国内外で農業指導や講演を行っており、無農薬栽培の普及活動も行っています。

プロジェクト

たんぽぽ木村秋則さんは、UR都市機構で人々が快適に暮らせるまちをつくることを理念としていることを語っています。

また、平成24年1月には東京都江東区の東雲キャナルコートでアースディマーケットが開催され、有機野菜や安心安全な加工食品が販売されました。

木村さんは現在、国内外で広く農業指導に当たっており、農業ルネッサンスが始まっていると言われています。

彼は消費者が生産者の顔を思い浮かべられるような時代を望んでおり、農業と都市の距離を縮めることの重要性を説いています。

 

編集後記

私が木村秋則さんを知ったのは、およそ15年ほど前。
とあるコスメの本で、木村さんのリンゴのことが紹介されていたことがきっかけでした。

すぐに興味をもち、木村さんの「自然栽培ひとすじに」という書籍を買い、夢中になって読みました。そこに書かれていたのは、自然栽培という農業のお話でしたが、「心の持ち方」「生き方」について説かれた優しい説法のようにも感じられました。

書籍の中にあった、

この世界に害虫はいない

という木村さんの言葉に深く感動し、読みながら自然と、まわりの人、動物、虫、空気、水、すべての存在への感謝の思いが溢れました。

きっと、わたしたちの魂には「自然と共に生きてきた」DNAが受け継がれていて、木村さんの生き方は「奇跡」というよりも、わたしたちが本来あるべき姿なのかもしれません。

この時の気づきは、現在の私の事業のひとつ、ヴィーガンスキンケア「ラヴィステラ」の

  • オーガニックや野生のハーブにこだわること
  • 動物由来成分を使用しないこと
  • 動物実験をおこなわないこと
  • 地産地消に努め、農家さんの支援に繋がる事業を行うこと

といった、あらゆる生命への思いやりの基盤、そして企業理念となり、
私自身の生き方、仕事、世界の見方、人生そのものを大きく変えてくれました。

このマガジンが存在するのも、木村さんの想いに感動したあの時の私がいるからだと思うと、こうして木村さんのことを記事にしていることが、感慨深くもあります。

彼の想いと活動を通して、人々が自然との繋がりを思い出すことができますように。
そして、みなさんがすべての地球の仲間たちに愛をもって生きてくださることを、心から願っています。

 

最後に敬意を込めて、木村さんの言葉をもって締めくくらせていただきます。

土をいじると手は汚れるけど、心の角はとってくれる。
それが幸せにもつながっていくと思う。

– 木村秋則 –

ABOUT ME
野田 聡美 | Satomi Noda(編集長)
株式会社ラヴィステラ代表。JAMHA認定ハーバルセラピスト、JOCA認定オーガニックコスメアドバイザー、JADP認定マクロビオティックセラピスト、ソウルナンバー鑑定士、AEAJアロマテラピー検定1級。本業の保護猫の召使いの傍ら、ヴィーガンスキンケアの開発を行っています。