Googleで「ヴィーガン」と検索すると、そこには
やばい、死亡、老ける、頭おかしい、押し付けがましい、etc…
と、ネガティブなサジェストキーワードが並びます。
昨年公開されたフランスのブラックコメディ映画の「ヴィーガンズハム」の中でも、肉屋の店主がヴィーガンの活動家に店を襲われるシーンが描かれているようですが、
そういう人の方が圧倒的に少ないにせよ、一部の活動家によってネガティブイメージが付きまとってしまっていますよね。
たとえ世界的にヴィーガンが増えているといっても、ヴィーガンはまだまだキワモノ扱いされてしまうことが多いようです。
実際ヴィーガンになる人はやばい人なの?
そもそもヴィーガンとは、食事や衣類など生活の中で動物を犠牲にしない生き方をいいます。そしてその範囲は食事や衣類だけでなく、化粧品にも及びます。
ヴィーガンになる大半の理由は、動物愛護や環境保護であり、「自分のため」というよりは「社会のため」。
そして動物愛護や環境保護を理由にしているゆえに、彼らの「抗議活動」が度々ニュースやSNSで話題になり、「押し付けがましい」と叩かれる要因となってしまっています。
問題では?と議論されている活動
動物愛護のヴィーガンの活動家は、駅前や水族館、動物園などで動物の権利を守るための活動を行っています。
中には、毛皮反対を訴える写真にあるように、直視するのがつらい、残酷な写真やパネルも含まれるため、それらに対する嫌悪感が見る側の批判に繋がっているようです。
ヴィーガンが訴えている動物問題の例
主に動物愛護の気持ちからヴィーガンになった方はこのような動物問題について啓蒙しています。
毛皮業者としては、毛皮動物の冬毛が生え変わるまで生きていれば良いわけです。
毛皮の品質に動物の福祉は無関係だといわれていますので、最低限のスペース、最低限の餌しか与えられず、殺し方や運搬の方法も非常に乱雑です。一般に殺し方は、口と肛門に電極棒を差し込んで感電死させたり、首の骨を折ったりします。まったく動物福祉に配慮しない悲惨な方法です。
現在世界中に出回っている毛皮の多くは中国産ですが、中国では毛皮動物を地面にたたきつけたり、殴るなどで衰弱させ、生きたまま毛皮を剥ぎ取るという、とても直視できないような残酷な方法が取られています。出典:アニマルライツセンター
ゴミ箱に入れて窒息死、圧死、放置死させる方法と、グラインダーと呼ばれる粉砕機ですりつぶす方法が取られていることがわかっています。
海外ではガスで殺す方法を取ることもありますが日本での導入は今のところ把握できていません。卵を生むことができるのはメスだけ。
オスひよこは生まれたその日に、孵化場で選別(雌雄鑑別)されて殺されています。ゴミ箱に入れる方法は、何の費用もかけず何一つ動物の苦しみを考慮しない方法ですがこの方法をとる孵化場が最も多いという状況です。出典:アニマルライツセンター
ヴィーガンが叩かれても動物の問題を訴えたい理由
「過激」「押し付け」などと議論されているヴィーガンの活動家たちですが、彼らの行為のもとになっている「怒りの感情」に目を向けてみると、批判的なことばかりはいえなくなるかもしれません。
実際、畜産動物や毛皮にされる動物たち、動物実験に使われる動物たちの現状はあまりにも酷いものがあります。
たとえば、自分の子どもやペットとして可愛がっている動物が残虐な方法で殺されたとしたら、それに無関心でいられる親はいないことでしょう。
しかし、捨てたゴミを傷つけられたと怒る人はいません。
怒りという感情の奥には、大切に思うがゆえの「愛情」があります。
一般の方々には単なる「肉」「食べ物」である畜産動物にも、
ヴィーガンの方は大切な家族のように愛情をもっているのです。
だからこそ、傷つける行為をどうしてもやめさせたくて、闘っているのです。
もちろん、だからといって抗議活動を盾に迷惑行為が許されるわけではありません。
ヴィーガンの方にも主張があるように、そうでない人たちにもそれぞれの主張があるし、日々を自分らしく過ごしたいと思っています。
主張を通すために相手の生活を脅かすことは、それはまた別の暴力行為でしょう。
ただし、大切に思う愛ゆえの行動であることは、彼らの主張を理解するために必要な視点です。
今の世の中の法律では、何を食べるかは自由です
現在の世の中では何を食べるかは自由とされており、肉を食べても法的に罰せられることはありません。
ですが、世の中に不変なものがないように、
黒人差別のあった時代から一転、肌の色で差別することがおかしいと世論が変わったように、もしかするといつかは畜産動物といわれる動物に対しても犬猫と平等に扱うべきだ、
そんな世論になる時代がやってくるかもしれませんし、それはまだ誰にもわかりません。
おそらく多くの方がヴィーガンを批判する理由のひとつは、食に対する自由な選択について制限を与えようする姿勢が気に入らないという点でしょう。
ですが一方で、選択の自由を与えられているからこそ、責任というものが発生します。
例えば畜産業は、動物の命という倫理的な問題以外にも、地球温暖化や水資源の枯渇、食糧問題、さまざまな問題に繋がっており、
法律上問題がなくとも、わたしたちの行動が未来の子どもたちにどんな影響を与えるのかは大人として考えていく責任があると思います。
ヴィーガンは栄養不足で老けるのも早い?
もう一つよく議論に上がるのは、栄養の面です。
ヴィーガンは栄養が足りないから老けるのが早い、というのも巷で囁かれている噂の一つですが、これには疑問が残ります。
実際にヴィーガンでも唯一不足しがちなビタミンB12を除けば栄養学上問題がないことはさまざまな研究でも明らかにされていますし、
Netflixのゲームチェンジャーズというドキュメンタリー映画の中では、ヴィーガンになったアスリートのパフォーマンスが向上したというデータも示されています。
肉食の人でも年齢より老けた印象の人がいたり若々しく見える人がいるように、ヴィーガンでもそれは多種多様です。
何も食生活だけが老化に影響を与えているわけではありません。
ヴィーガンだから病気になりやすい、という説にも同じものがあり、
実際日本で病院に通っている人の99%はお肉を食べているでしょうし、肉を食べてようとヴィーガンだろうとフレキシタリアンだろうと、風邪をひくときはひきますし、絶対に病気にならないとは断言できません。
食の部分だけを切り取って健康を害すると決めつけるのはあまりに短絡すぎるといえるのではないでしょうか。
主語が大きすぎると差別になる
ヴィーガンだからイコールやばい、という認識は間違ったもので、一部過激な人がいる、というのが正解でしょう。
同時に、肉を食べているからイコール全員がこうだ、という主張も誤りであると思います。
実際、私の周りにいるヴィーガンの友人たちはとても優しく繊細で、発する言葉にも思いやりのある方ばかりです。
一概に人にラベルをつける行為は、性差別同様、倫理的に望ましいものではないと考えます。
「ヴィーガンはやばい」論争に欠けている視点
そしてもう一つ、これらの議論には欠けている部分があります。
それは、ヴィーガンの人たちは食事を単なる栄養補給や味覚を満たす行為として捉えていないという、心に関する点です。
彼らは具体的には、食から「社会への影響」を考慮し、行動について多角的に深く考えているのです。
食は心にも栄養を与えるもの
肉や魚を食べる人たちにとっても、食事は単に体や食欲を満たすだけのものではないはずです。
食べる場所、店員さんの接客、誰と食べるか、
私たちは無意識に、その場の空気や見えない感情、ロジック以外の五感で食事を楽しんでいます。
同じ食事でもその時々で満たされる感情が違うのは、食欲だけでなく同時に心を満たすものでもあるからです。
その感覚は、感覚は違えどヴィーガンの人たちも同じ。
彼らは自分が生きるためとはいえ、食事で動物を傷つけることは胸の痛む行為であり、動物を犠牲にしていないものを食べることのほうが心が満たされるのです。
スーパーに並んだこの肉や魚、野菜はどんな風に育てられたのか
体にとってはどちらが良いだろうか
どちらを選ぶことが社会にとって良い選択なのだろうか
動物や地球にはどんな影響があるのだろうか
わたしたちの食は単なる食事として捉えることもできますが、実はその先はさまざまな世界と繋がっています。
自分が何を食べているかに思いを馳せてみると、見ていた世界がガラリと変わります。
同時に、ヴィーガンのように、自分たちとは違う生き方や食事を選んだ人たちの思いにも寄り添ってみると、表面的な行動だけを見て叩くことはできないのではないでしょうか。
その行動の奥にある感情に寄り添ってみると、そこには相手への理解と、平和な視点が広がっていると思います。
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